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萬屋 桃山風呂建設のエピソード
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    10月13日


     桃 山 風 呂 建 設 の エ ピ ソ ー ド

    一、 昭和二十六年、桃山風呂を造るためには資金が一千万円位掛かるという
      ことで金融機関に折衝したが、当時旅館業は貸付順位が「丙種」であった為
      中々スムーズには融資してもらえず、やっとのことで八十二銀行から二百
      万円借りることができた。それでも足りないので、有るものを処分せざる
      を得ないことになり、戦前より買込んだ書画をトラック一台、断腸の思い
      で富山の商家に三百万円で売却した。誠に惜しい。今在れば立派な美術館
      位は出来たと思われる程の垂涎の美術品であった。

    一、 野天風呂に敷き詰めてある黒と白の那智石(こぶし大)は従前より館主・
      小野博の知遇の士であった勝浦温泉越の湯の主人の好意で白一0一叺(かま
      す)、黒二0叺を三六、000円で斡旋してもらったもので、昭和二十九年
      当時は入手困難な時代であっただけに感謝している。


    一、 野天風呂最大の大石は、百トンを超えるだろうと言われているが、戦前
      湯宮神社裏の畑の持主である宮崎篤様より一円で購入してあったものを、
      此処まで運ぶのが大問題であった。誰も引受手がなく困っていた処、長野市
      の白田組が男気を出して運搬を引受けてくれたが、当時街の話題を浚った。
      当日は道幅がいっぱいになった大石をアメリカ製のブルトーザー三台が、
      パトカー付で約三百メートルの道のりを半日かかってこの難題に成功した。
      昭和二十九年に偶々当時舗装の為に道路幅が六メートルに拡幅されたばかり
      で、もし拡幅されていなかったら不可能であった。産土(うぶすな)神の
      加護と思っている。


    一、 桃山風呂脱衣室の欄間を彫った越後の彫刻師・相崎武吉さんが、昭和二十
      八年、市川棟梁宅に半年間も寝泊まりし、見事傑作を残して帰ったが、当館
      へのお礼の印と称し猿田彦の木彫面を持参、飯山線で長野駅へ着いた途端に
      心臓麻痺で斃れ帰らぬ人となった。誠にお気の毒で哀悼の念を禁じ得ません。
      それを戴いた当館が偶々当地の七年に一度の御柱祭に着用して神社に奉納し
      たものだが、いつの間にか行方不明となり見つかっていない。猿田彦は
      温泉発見の案内役で温泉宿の守護神として崇め尊ぶべきであるが大変残念で
      ある。また、師の最期の作品ですばらしい出来映えであるだけに、地下に
      眠る相崎さんには誠に申し訳ないと思っている。




    猿田彦(yahoo画像より)

    猿田彦「神話での記述」
    邇邇芸尊が天降りしようとしたとき、天の八衢(やちまた)に立って
    高天原から葦原中国までを照らす神がいた。
    その神の鼻長は七咫、背長は七尺、目が八咫鏡のように、
    またホオズキのように照り輝いているという姿であった。
    そこで天照大神と高木神は天宇受売命(あめのうずめ)に、
    その神の元へ行って誰であるか尋ねるよう命じた。
    その神が国津神の猿田彦で、邇邇芸尊らの先導をしようと迎えに来たのであった。
    邇邇芸尊らが無事に葦原中国に着くと、邇邇芸尊は天宇受売神に、
    その名を明らかにしたのだから、猿田彦を送り届けて、
    その名前をつけて仕えるようにと言った。
    (『日本書紀』では、猿田彦が天鈿女命(あめのうずめ)に
      自分を送り届けるように頼んだとなっている)
    そこで天宇受売神は「猿女君」と呼ばれるようになったという。
    猿田彦は故郷である伊勢国の五十鈴川の川上へ帰った。
    猿田彦は伊勢の阿邪訶(あざか。旧一志郡阿坂村、現松阪市)の海で漁をしていた時、
    比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ、溺れ死ぬ。
    この際、海に沈んでいる時に「底どく御魂」、猿田彦が吐いた息の泡が昇る時に
    「つぶたつ御魂」、泡が水面で弾ける時に「あわさく御魂」という三柱の神が生まれた。
    『倭姫命世記』(神道五部書の一つ)によれば、
    倭姫命が天照大神を祀るのに相応しい地を求めて諸国を巡っていたとき、
    猿田彦の子孫である大田命(おおたのみこと)が倭姫命を先導して
    五十鈴川の川上一帯を献上したとされている。
    大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、
    代々伊勢神宮の玉串大内人に任じられた。


    解説
    『日本書紀』には、天宇受売神は胸乳を露わにし裳帯(もひも)を
    臍の下に垂らしたとあるので、性的な所作をもって相対したことになる。
    神話には書かれていないが、二神が結婚したと民間では伝えられているのは、
    この記述によるものと考えられる。
    「鼻長七咫、背長七尺」という記述から、天狗の原形とする説がある。
    「天地を照らす神」ということから、
    天照大神以前に伊勢で信仰されていた太陽神であったとする説もある。
    その異形な風貌から赤鼻の天狗とされるが、
    仏教、特に密教系の烏天狗と混同されやすい。
    三重県鈴鹿市の椿大神社、三重県伊勢市宇治浦田の猿田彦神社が
    サルタヒコを祀る神社として名高い。
    天孫降臨の際に道案内をしたということから、道の神、旅人の神とされるようになり、
    道祖神と同一視された。
    そのため全国各地で塞の神・道祖神が「猿田彦神」として祀られている。
    この場合、妻とされる天宇受売神とともに祀られるのが通例である。
    また、祭礼の神輿渡御の際、天狗面を被った猿田彦役の者が先導をすることがある。
    他にも滋賀県高島市白鬚神社の祭神とされたことから
    白鬚明神の名でも全国各地に祀られている。
    また子孫である大田命、内宮の興玉神とも同一視される。
    さらに江戸時代に入って「サル」の音から庚申講と結び付けられたほか、
    垂加神道では「導きの神」として神道の「教祖」とされるなど複雑な神格をもつ。
    常陸国の住人に猿田氏があるが、猿田彦の末裔であるとされる。
    前述の椿大神社・猿田彦神社の宮司もともに古くから猿田彦の神孫と称する。
    現代においても小説や漫画といった創作物の登場人物として人気があり、
    例を挙げれば手塚治虫の『火の鳥』シリーズには、
    「猿田」もしくは「サルタヒコ」という人物が多く登場する。
    それらの多くが、鼻が大きいという身体的特徴をもっている。
                             (Wikipediaより)

     
    posted by: 17yukemuri | 湯田中温泉 | 01:56 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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