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萬屋 佐久間象山像
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    10月13日


    佐久間象山像

    元治元年(1864)7月11日、京都の三条木屋町において、
    松代藩士佐久間象山が尊攘派によって暗殺された。
    彼は上京後、馬に乗るときは西洋鞍を使っていた。
    それは尊攘派にとって許し難いことであったようだ。
    象山は文武に卓越していることはもとより、兵学者、科学者でもあった。
    吉田松陰も入門している。
    日本初の電信実験に成功し、そのときに使用された鐘楼が松代(長野市)に残っている。
    温泉地として知られる湯田中、避暑地の志賀高原を開発した人物でもあり、
    その功績は大きかったといえる。
    松代は真田氏はもとより象山関係の史跡が多く、
    湯田中がある山ノ内町にも記念碑があるという。
    志賀高原の「熊の湯」は象山が発見したともいう。


    象山記念館には象山の遺品や遺墨が多く展示されている。
    地震予知はU型磁石に三角形の軟鉄をつけ、それに三五〇グラムの重りを吊したもので、
    災害が近付くと吸い付いている重りが落ちるという。
    今日でも地震の予知は難しい。効果の程はともかく、
    江戸時代地震を科学的に予知しようと器械を作ったことに感心せざるを得ない。
    そのほかにも百科事典を参考にしながら蒸留器なども作っている。

    旧松代藩の鐘楼で、現存しているのは享和元年(1801)に再建された。
    鐘は戦時中に供出され、平成三年に復元したという。
    ここが日本電信発祥の地で、
    嘉永二年(1849)に象山がオランダの書物をもとに電信機をつくり、
    北東七〇メートルにあった御使者屋敷に電線を張って、電信実験に成功したという。
    電信機はともかく、電線も作ったのであろうか。
    ペリー浦賀にやってくる四年前のことである。  

    江戸に出ていた象山は弘化元年(1844)十月上旬に帰り、
    佐野・湯田中・沓野村の利用係となった。
    養豚、じゃがいもの栽培、ワインの醸造など当時としては珍しいことを次々と試みた。
    また藩から借金をして村財政の復興を図った。
    その功績を称えたものが「佐久間象山遺沢の碑」で、
    明治十二年、佐野村有志が勝海舟に撰文、書を頼んで建てられたものである。
    また佐野神社には象山の揮毫による大幟が残されている。
    これは佐野の人から依頼をうけて書いたものという。
                       (『幕末への旅路』 -遥かなる幕末へ-より)
    posted by: 17yukemuri | 湯田中温泉 | 06:51 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |









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